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2022/11/24(木) 12:02:36.5150 (JST)2022/11/26(土) 18:52:40.2717 (JST)

とある精神科医の感想文 〜『すずめの戸締り』編〜

某精神科医から[『すずめの戸締り』](https://suzume-tojimari-movie.jp/)の感想文が届きましたのでご紹介します:
私は、今でこそ精神保健指定医のほか精神科専門医や指導医というそれっぽい資格を持って精神科医療に携わってはいるものの、東日本大震災が起きたときはまだ精神科医に成り立てだった。そんな私が『精神科被災地支援』のため精神科医として現地に派遣されたのは2011年8月のことだった。震災から5ヶ月後のことである。外傷など超急性期を扱う科の人たちからみれば「今さら何を?」という感じかもしれないが、精神科にとってはむしろその頃からが本番となる。 事故や災害で家族を亡くしたあとも、葬儀や行政手続きなどに追われて忙しくしている間は意外と精神状態が極端に不安定にならなかったりする。それらが一段落ついたとき、それまでに無理をしていればいるほど、一気に精神的不調に襲われる。即ち、“発症”まではそれなりのラグがあるのだ。そして、回復には、そこから何ヶ月、何年という長い期間を要することが多い。 私が派遣されたのは、宮城県中部にある市だった。その市は、津波によって1000人以上が亡くなった場所である。現地で精神科外来をしている医師は「震災後に外来患者は確実に増えている。新規の気分障害(註: うつ病などを含む疾患カテゴリ)や不安障害(註: パニック障害など不安症状を呈する疾患を含むカテゴリ)に加えて、以前から通院中の患者の状態像が悪化している。」と語っていた。一方で、都市部から離れたその地では旧来の[スティグマ](http://bit.ly/3EUHGmH)も未だ払拭されておらず、精神科受診に対する心理的抵抗が強い人々も少なからずいた。そこで、私が任されたのは、精神科医療が必要だと考えられるが受診に至っていない人たちに対する支援というわけだ。診察ではなく、保健センターを介しての相談対応である。 相談者の中には、“12年後の鈴芽(すずめ)”と同じ17歳の少女も居た。個人情報保護のため仔細は改変して書かざるを得ないが、震災以降に彼女が感じていたのは後悔と罪の意識だった。 2011年3月11日、彼女は家族とともに津波から逃れようと必死だった。既に祖父は津波に攫われた。彼女は祖母の手を握って必死に走った。だが、高齢の祖母の足は遅い。家族は言うのだ、「お婆ちゃんは置いて行きなさい」と。彼女は当然躊躇う。しかし津波は躊躇う時間を待ってはくれない。彼女は祖母の手を離した。祖母は津波に流されて亡くなった。 以来、彼女は段々と抑うつ症状が顕著になる。最終的に、家族から保健センターに相談が寄せられたという次第である。 さて、精神医学的に彼女を評価すれば『うつ病』である。数ヶ月続く抑うつ状態から容易に診断はつく。もちろん若年であるので[双極性障害(躁うつ病)](http://bit.ly/3iabHWu)の可能性について留意は必要だし、抗うつ薬を導入する際には[アクティベーション](http://bit.ly/3GMPfNL)にも気をつけなくてはいけない。それだけだ。…いや、それだけのはずがない。 少なくとも彼女の場合、薬物療法は必要条件ではあっても十分条件ではない。心理学的アプローチとしてのカウンセリングはもとより、一種の宗教的哲学的助言も必要となることがあるかもしれない。それから、何よりも不可欠なのは充分な時間だ。 でも、もし、この作品の鈴芽(すずめ)のように未来の自分に出会えたなら。その言葉は何よりも説得力があるだろう。果たして、28,9歳となった今の彼女は当時の自分に何を語るのだろう。ああ、『何』を語るかはさしたる問題ではないのかもしれない。未来の自分それ自体が尊いのだ。 『すずめの戸締り』を観て、そのようなことを考えていた。 -----   【以下蛇足🐍】 精神医学には出来ることと出来ないことがあるという、至極当たり前の事実を明確に認識するきっかけとなった被災地支援。 ともすれば“出来ないこと”のほうが強調されがちで、精神科医療が何をしているのか理解していない人たちによって精神医学は批判の対象にもなったりする(医療従事者の中にまで“理解していない人”がいるのだから困りもの)。一方で、精神医学に万能感を抱いて何でも自分で解決しようとする精神科医というのも、それはそれで問題である。本来出来ないことまで精神科医療としてやろうとすることは、問題を泥沼化するだけで、結果的に自分にとっても患者にとっても益にならない。 出来ることをやる。出来ないことは、人に任せる。そのほうが患者は救われる。精神科医に成り立てのタイミングでそれを知ることが出来た。上にも書いた通り精神科医療は理解されにくい部分がある。でも、そもそも精神科は“黒衣(くろご)”であって、表舞台に立つようなものではない。こっそりと患者を救い、社会の中で密かにほんの一役買っていればいいのだ。 草太も言っていたではないか。 「大事な仕事は、人からは見えないほうがいいんだ。」

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